Scottish Khuushuur

例えば自分のどうしようもなくつまらなく退屈な1日は、

誰かにとってその人の人生を変えるぐらい特別な1日だったりする。

 

何をすることなく、ただ惰性で過ごした1日が、

誰かにとって運命を決めるぐらい大切な1日になっていたりする。

 

そんなことをふと考えると、

自分が満足のいく1日を過ごせなかった時なんとも言えない焦燥感に駆られる。

 

自分の1日のクオリティの低さに落胆する。

 

もちろんクオリティは忙しさではなく、あくまでその1日に満足したかどうかなのだけど。

 

グラスゴーにいる間の約400日の間にどれだけ自分は最高の1日を過ごせるだろうか。

 

誰かが言ってた。「時間だけが唯一すべての人に平等に与えられるもの」だと。

 

でも、惰性で過ごす時間になんの意味があるのだろうといつも思う。

 

 

もっと1日のクオリティを上げたい。

 

後悔しない時間を過ごせるように。

 

今日この日は間違いなく誰かの大切な1日だった。

 

すべての人が同じ時間を共有していても、

そのクオリティは全然違う。

 

そして、そのクオリティは誰にも計れはしない。

 

 

でも、誰かの特別な1日に少しでも触れると、

 

自分もそんな1日を過ごせるようになりたいなと思う。

 

 

隣の庭は青いけど、

 

羨む前に、自分の庭にまず水やりを少しずつやっていこう。

 

地道に地道に。

 

大切にできたその1日は、振り返った時に特別なものに変わるから。