Scottish Khuushuur

例えば自分のどうしようもなくつまらなく退屈な1日は、

誰かにとってその人の人生を変えるぐらい特別な1日だったりする。

 

何をすることなく、ただ惰性で過ごした1日が、

誰かにとって運命を決めるぐらい大切な1日になっていたりする。

 

そんなことをふと考えると、

自分が満足のいく1日を過ごせなかった時なんとも言えない焦燥感に駆られる。

 

自分の1日のクオリティの低さに落胆する。

 

もちろんクオリティは忙しさではなく、あくまでその1日に満足したかどうかなのだけど。

 

グラスゴーにいる間の約400日の間にどれだけ自分は最高の1日を過ごせるだろうか。

 

誰かが言ってた。「時間だけが唯一すべての人に平等に与えられるもの」だと。

 

でも、惰性で過ごす時間になんの意味があるのだろうといつも思う。

 

 

もっと1日のクオリティを上げたい。

 

後悔しない時間を過ごせるように。

 

今日この日は間違いなく誰かの大切な1日だった。

 

すべての人が同じ時間を共有していても、

そのクオリティは全然違う。

 

そして、そのクオリティは誰にも計れはしない。

 

 

でも、誰かの特別な1日に少しでも触れると、

 

自分もそんな1日を過ごせるようになりたいなと思う。

 

 

隣の庭は青いけど、

 

羨む前に、自分の庭にまず水やりを少しずつやっていこう。

 

地道に地道に。

 

大切にできたその1日は、振り返った時に特別なものに変わるから。

 

明日はもしかしたら晴れるかもしれない

8年ぶりに北海道に行った。

 

いつもだったら少しずつよみがえってくるはずの景色も

おかえりと言ってくれているようなその風景も

まるで拒絶されてるかのように雨が降り続いた。

 

何かを吹っ切りたくて北海道を選んだわけではないけれど、

いってきますをもし言うとしたら、それはやっぱり北海道でよかったと思う。

 

 あのときの自分にとって特別だったあの景色は、

もーキラキラしなくなって、

 

その代わりこのタイミングで見たあの景色たちは

間違いなくキラキラしてて、

 

またひとつ自分の中の北海道の景色になった。

 

ひとつずつ思い出を上書きして、

 

次の人生の糧にしていきたいと思う。

 

 

次に北海道に来るときは間違いなく晴れている気がする。

 

だって、次に見える北海道の景色はきっと・・・

 

 

 

 

 

 

 

おかえりと言ってくれるはずだから